「新しい仕事」を投入する意味とは

 経済成長期が終わったから、ものがあまり売れなくてやる仕事がないという人もいます。やる仕事がないから、新しいアイデアを実行しようとしない。思考停止して、お題目のように「無駄を省こう」と言っていれば、本質的に解決しない方法であっても、何となくいいことをやっているような気がするのならば、それは危険です。社会があるべき姿のため、やる仕事はたくさんあると考えます。
 やる仕事がないと考えて、目の前にある作業を工夫せずに着手して、なんとなく残業する。個人の収入減や会社の経費節減などのための方策を、本質的な解決に繋がらない方法でしか実行できない。それをやめたくても、人からああ言われたらどうしようと怯えている。それをもたらしている空気は、どこの誰から発生しているか。また、自分自身はそれに何を感じているか、冷静に考えてみることが有効です。その空気に水を差して、排除することは多くの貢献をもたらします。
 日本の経済成長を支えていたのは、製造業のなかでも国際競争力を発揮した分野といわれています。逆にいうと、「これからは低成長だから仕事がない」という言葉は、これまでの歴史のなかで、成長のための工夫あまり投入できず、競争力をあまり上げてこなかった分野の人にとって、自分たちの状況を表す言葉としては、言うべきものではないのかもしれません。
 いま、人が生活する場所を、持続可能なものにしていくためには、たくさんの「新しい仕事」を投入する必要があります。たとえば、富山市コンパクトシティ*1にしても、仕事や経済活動をただ減らしているという性質のものではありません。何となく仕事を減らしているだけでは、コミュニティが崩壊してゆく都市のなかで、貧困や孤独死に直面してしまうからだと、僕は考えます。人口減、低成長だからこそやる仕事があります。だから、僕は安心して、いまの社会に貢献するためのアイデアを出して、実行することに注力できます。
 仕事のことについて、心配してあせっているように見えた人のことを思い出して書いてみました。毎日遅くまで大変そうに思いましたので、その本質的な意義を考えてみようと呼びかけたいのです。マスメディアや書籍などに登場する人口減や低成長の話題について、表面だけを引用しているだけでは、安心出来る考えには至りません。思考して行動することによって、必ず希望を実感できるでしょう。