会議での発言を改善する論点

 以前に奇妙な会議をしたことがあります。会議で何か言われるのが嫌だから発言をして欲しくないと発言人や、時間がかかって仕事に戻れないからはやく会議をやめたい発言する人がいて、会議中に意見を紙に印刷して渡すということが行われました。会議で発言しないというのは、自動車が道を走らないということと似ていて、要は根本的におかしいことです。
 意見を描いた紙を上司に渡して意見をしている人の立場からみて、発言しないことの何がメリットかなのか考えて追求してみると、調べた内容が不十分であるということなどを、指摘・フィードバックされるのがすごく嫌がっているということがわかりました。しかしながら、会社の収入に関することで、根本的におかしい意見が通りそうになり、阻止するのに時間がかかってしまいました。会議では、提出された意見は紙に書いてあるから大丈夫だという主張をされてしまい、その場で追求することができませんでした。裏を返せば、会議のよいところは指摘・フィードバックをうけて、よりよい成果に向けた行動ができることです。
 時間がかかることをやめたい、という意見は正論です。無駄な会議というのも、たしかに有り得ます。しかしながら、方向性の修正に時間がかかってしまうのであれば、やはり無駄な時間のかかることになってしまいます。そもそも、会社の方向性を決めるなどのこと、個々の案件処理作業に数十分よけいに時間をかけることと比べて、はるかに重要です。
 ひとりで何もかも全て理解して、指摘・フィードバックがなくても適切なことを実行するのは、僕を含めて誰にとっても難しいことだと考えます。これまで体験した会議で一緒に力を尽くしてくれた大事な仲間たちについては、たいへん感謝しています。
 発言をしてほしくないという意見の人は、仕事の手際が悪くていつも時間が多くかかり、間違いも多い人でした。だから普段から相当苛立っており、少しの時間が惜しいのだと感じました。このときの会議は、根本的な改善の論点として、個々の作業をよりうまく行うことが改善点として考えられると思いました。発言のやり方を変えることは、根本的な改善点を突いていなかったのです。