〈ウチ〉と〈ソト〉に関係 勝間 vs ひろゆき 論争の話題盛り上がり

 先日「勝間 vs ひろゆき BSジャパン デキビジ #dekibiz を見て - FDmountwill_millsの日記」で書いた、勝間氏とひろゆき氏の論争について、ウェブ上でかなり話題になっていてこの記事へのアクセスも多いです。

 この反応を見て思いついたのが、日本人の〈ウチ〉と〈ソト〉に対する意識について。この意識は独特なものと言われており、日本人を扱った様々な書籍などでよく登場する考え方です。
 勝間さんやひろゆきさんを、隣近所の人に近い〈ウチ〉の人として扱っているのではないか、という考えが頭をよぎりました。たしかに勝間さんやひろゆきさんは、インターネットをはじめとするメディアに多く登場し、たくさんの人から親しまれています。
 僕も含めてかもしれませんが、隣近所―〈ウチ〉―の人が大声で論戦をはじめたとしたら気に障ってしまう、という意識があるかもしれません。断っておくと、その意識はなかなか変えられるものではないと思いますし、それが良いことか悪いことか、ということも一概には言えないと思います。それでも、ひとつ思うのはいったん頭をリセットして〈ウチ〉の出来事ではなく〈ソト〉―「社会」―の出来事として考え直してみると、何か新しい発見があるのではないか、ということです。私たちは、気を抜くと〈ウチ〉同士の話し方をしてしまいがちで〈ソト〉に関することは少し意識的にならないと考えられないのかもしれません。〈ウチ〉と〈ソト〉は違った視線でものごとを見る機会のひとつです。
 インターネット上の発言は自由なので、〈ウチ〉の雑談めいたものでもよいとは思うのですが、会社の仕事の会議なのに単に「大声でいろいろ言われたから気に障る」という内容を長々と話して、仲間の大事な時間を浪費してしまう場合もあります。会社の仕事という意識がなく〈ウチ〉同士の雑談の延長と考えてしまう場合です。その場にあった発言ができるよう、必要なときには意識を切り替える必要があると考えました。