やたらと自分の道順選択に自信をもつベテラン

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タクシーに乗って行き先を告げたら、運転手のじじいが「んー、ここからだったら。。。」
と何やらカーナビをごちょごちょいじりながら車を走らせた。
タクシードライバーなるもの、己の勘を頼るべし。
はずれをひいてしまったかとがっかりした。
しかもカーナビの示す方向には行かず、細い道をぐいぐい攻めて行く始末。
何とか行き先の近くまで来ると、助手席のとこの端末をいじり始める。
真面目に運転しやがれ。
到着。メーターの料金は1250円。
ここでじじい、
「恥ずかしながら私はカーナビに負けてしまったようです。
私は50年タクシードライバーをやってきまして、降車地を
聞くだけで、そこまで幾らで行けるかが経験で分かるのです。
今回は1070円だと思ったんですが、超えてしまいました。
私のミスです。1070円で結構です。その値段の領収書を用
意しておきましたゆえ。」
俺は泣いた。むせび泣いた。
じじいは間違いなくプロフェッショナルタクシードライバーだった

 ベテランの人って道順選択に自信を持っているものだと思います。経験上、年配の人には道順を細かく教えるとき、とても楽しそうにしています。内容を聞くと、細い道や生活道路などを選択したがることが多いです。しかしながら、僕はあるとき疑問を持ちました。道順は、演算で最適解が得られる面があるのではないかという疑問です。ムーアの法則により、コンピュータの演算能力は年々向上しておりますので、ベテランの人が若かった当時よりもカーナビの信頼性は相当に向上しています。実際に走ってみた結果、ベテランの人の選択する道とカーナビの選択とはさほど時間に差がないです。現代では、ベテランの経験から得られた勘が、かつてほど有効な意義を持たなくなっている場合もあります。
 時間に差がなかったことを面と向かって結果を教えると、相手の方は何かを否定されたような表情になったことがあります。
 〈極上の、決定的な一撃―なぜ、数字に〈よって〉考えるやり方は賢明で新しいのか― - FDmountwill_millsの日記〉で書いたように、野球などでもデータが活用できます。それによって、ベテランが行う判断に劣らない結果が得られます。
 仕事でデータや事実を基にした提案などを示すと、いろいろ波紋を呼ぶ場合がありました。何十年と経験している自分の考えは正しいという考えにこだわりたい人の気持ちもよくわかります。
 僕は、別にベテランの人のメンツを潰そうという考えではありません。たとえば、何百年の歴史のなかで培われた、変わらない部分をもつものをつくるときには、ベテランの経験が何よりも重要です。具体的には、伝統料理であるとか、稲作農業などです。料理人の世界を描く漫画などでは、年功序列で徹底したトップダウンな組織が描かれます。稲作農業は作物を適切に育てるための手間が多くかかりますし、一年に一度しか収穫までのプロセスを経験できないため、年配の人でないと全体像を適切に把握することができません。成果を出して貢献するためには、ベテランの勘が必要な部分もたしかにあります。
 伝統料理や稲作農業とは違う性質の仕事が世の中にはあります。たとえば、〈石の上にも10年2 - FDmountwill_millsの日記〉に書きましたが、飛行機の操縦において常に目上の人を敬っていたら悲惨な結果を招きます。
 韓国や日本のように、何百年もの間、稲作を中心として安定した社会を築き挙げてきた地域において、その勤勉さや従順さは有効にはたらく場面もあるのですが、近年に登場した工業製品を扱うときにはそれに応じた対応をした方がよいですね。