戦争後の期待 現代の期待

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 日本において、昔のオリンピック選手、戦争後しばらく経った時点でのオリンピックというのは、国民の代表として期待を背負っていたのだと思います。日本の選手がアメリカ合衆国ソビエト連邦の選手よりよい成績を出すこと。それが国民からの強い期待であり、それに応じた形で、服装などの振る舞いが求められていたと思います。
 オリンピックを開催できる国力、好成績でメダルを取れる選手を輩出できる国力などの期待。現代では、それが少し変わってきているのかなと感じています。国力のアピールなど、新しい社会へのイメージを表現できる大規模なイベントとして、オリンピックがあるのかもしれません。

 カナダの森林資源、その活用について。建築構造設計技術の発達により、木造で大規模な建築が作ることができるようになっている。
Richmond Olympic Oval / Cannon Design | ArchDaily

 建築設計の変化。東京オリンピック当時には、丹下健三設計の代々木体育館などが建設されました、当時の社会での、想いを具現化した人々に対しては敬意を表します。
建築家不要論ではなく、建築家以外必要論 - FDmountwill_millsの日記

 僕はスノーボードを数年前までよくやっていました。<競技スポーツ>というより<遊び>、<フリースタイルの文化>という側面が強い。それに応じた<スタイル>があります。そこでは、崩した服装がむしろ制服です。その文化が好きな人にとって、それに応じた振る舞いをするのは自然なことであり、それは妥当な裏づけと考えます。
 オリンピックはたくさんの人の期待があり、運営にも多くの人が関わっています。多くの人が納得する振る舞いが望ましい、とは思います。きちんとした振る舞いのスタイル、についてどれだけの裏づけがあるか、ひとつの文化を一方的に排斥するようなことになっていないだろうか、そういうことを考えてしまいました。