設計における論理のやりとり、そして誠実さ

 プロダクトにしても建築にしても、設計が関わる業務において、言葉でのやりとりは重要です。僕はもともとそれが得意ではなかったのですが、実務に揉まれているうちによくしゃべる人になりました。例えば、設計内容を図面にしてもらうため、一緒に仕事をする人に指示を出す場面があるとします。長年の経験上、僕が指示を出してうまくいかないときは、内容を理解できていない等の理由で、それが相手に伝わらないからと考えました。
 設計に関わる者同士で、適切な言葉を交わすために必要なことは、具体的で論理的であることと考えます。そして、これは当然なのですが、嘘をついたり、人を陥れようとしたり、傲慢なふるまいをしたりしないことです。それを許せば、偽装などの不祥事を招く可能性に繋がります。
 自分よりも年配である人の一部が、業務に手こずる場面を多く見てきました。その一部年配の人は、設計内容の理解について僕よりも酷く劣るということはないはずですが、言葉が伝わりません。昔ながらの業務のやりとりでは、コミュニュケーションが希薄になりがちであり、言葉をうまく使う訓練ができてない場合があります。
 設計業務において、言葉の重要性が増したのは、割と近年のことなのかもしれません。昔であれば、設計を行う部門では大きなトレーシングペーパー等を広げて作業をするため、お互いに何をしているか伝わりやすく、職場内での言葉のやり取りが最小限で済んでいました。
 近年、報告書や評価シートなど、業務進行に不可欠な書類の情報量が増えています。その要因としては、パソコンによる文書作成ツールやメール、さらに録音や録画機器などの普及による物理的要因があり、法令遵守やISOなどの考えが広ひろまったことによる社会的要因もあります。報告書や評価シートなどの記録は、誠実でないふるまいをチェックすることもできます。これは、人の失敗を指摘して傷つけるためにあるというより、働く人が安心してよい成果を出せるよう支援するための仕組みと考えた方がいいと考えます。