紛争地帯スーダンの映像を見て考えた仮説

武装解除

 戦争が終わって、さらに紛争の火種も納まったとして、その後にどんな社会が待っているのでしょうか。昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」に出ていたような、兵士や少年は、建設技術を学んだり飛行機のパイロットになったりして、産業を発展させるでしょう。学校ができて、工場できて、ダムができて、鉄道等の交通機関ができて、ルイヴィトンの鞄で旅行に出かける人たちもでてくるでしょう。産業の発展がそれまで戦争によって押さえられていた分、軌道に載ればどんどん発展していきます。

復興

 人々は勉強して仕事を真面目にこなし、経済が発展していきました。しかしながら、これは戦争により発展が押さえられた結果のリバウンドという面もあります。リバウンドという余計な力が働いているため、全ての人が社会に貢献していなくても発展できる状況です。だから、能力によらず、年功序列によって仕事の階級が決められるかもしれません。女性は、仕事の才能があったとしても産業の担い手として主要な役割を与えられず、家庭の仕事に専念せざるを得ないかもしれません。それでも経済は発展していきます。

新人類

 その時代がしばらく続くと、新人類が出現するかもしれません。経済は発展していくのが当たり前なんだと思い込む人が多くなります。経済の発展を支えた旧人類に比べて、バブリーな新人類は軽薄短小でのほほんとしています。勉強なんて意味ないことだと思っているかもしれないし、一生懸命に仕事のことを考えなくてもいいじゃないかと言っています。詰め込む勉強なんて意味ないという世論を打ち出して、勤勉な教育路線からゆとり教育に変化するかもしれません。そのうち、経済発展が暗礁に乗り上げました。この発展は当たり前に約束されたものではないからです。その出来事はバブル崩壊あるいは氷河期と呼ばれるかもしれません。

氷河期

 それまで安泰だった企業は人員を削減し、リストラを行って若者の採用をしなくなりました。格差が広がります。バブリーな新人類と呼ばれた世代は、いまや社会の中枢を担うポジションにいて、相応の経験と知識があるため、本気になればもっと成果を出せるはずですが、相変わらずのほほんとしています。一方で、若者は必死です。一生懸命やらないと、人生がお先真っ暗だからです。劣悪なワーキングプアな環境でもけなげに仕事をこなします。勉強すれば軽薄短小な世代とは違った取り組み方をします。いつの間にかゆとり教育の世論は下火で、大掛かりな学力テストが行われたりしています。

未来

 もちろん、世代で人格が決まるわけではないですし、それぞれ真面目に取り組む人も不真面目な人もいますが、社会の状況によって概ねそのような傾向ができあがるかもしれないということです。以上、どこかで聞いたような印象もありますが、あくまで仮説です。日本の歴史はそれなりにわかるとしても、スーダンの未来は予測できませんから。
 明るい未来はどこにあるか、それは我々がこの手で創り出して示すものだと思っています。個人的には悲観していないし、迷いもありません。けなげな仕事の取り組みと、真剣な勉強の成果には、十分に未来を切り開く力があり、社会に貢献できる道があるはずだと思っています。