リスクや格差、その解決の前にありのまま―『希望格差社会』
- 作者: 山田昌弘
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
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個人的には、冒頭はしがきの一節が気になりました。
また、別の国民年金未納のフリーター(30代半ば、男性)に同じ質問をしたところ、今度は、「俺たちは、ろくなものを食って育ってないから、どうせ60歳ぐらいで死ぬんだ、だから掛けたって無駄だ」と答えが返ってきた。(P.4)
これと、全く同じことを言う人に会ったことがあります。その人はフリーターではなくきちんとした会社で働いています。当時その人は30代半ばでした。彼自身が未来に希望を持っていないことは、あらゆる行動から明白でした。給料が減ったことや、周囲の人から信頼されていないのではないかという心配など、いまも様々な不満を抱えて生きているそうです。
僕は、他人の生き方や考え方に口出しするのはおこがましいとは思っています。ただ、希望を捨ててしまうことの辛さ、怖さは広めたくないし、いろんな縁があった大切な仲間に対して、希望を捨てて欲しくないという想いがあります。
この本で使われている格差社会という言葉は、いまでは日常的に言われる言葉となっています。「人類学者と実験者 - FDmountwill_millsの日記」で取り上げた、『生きる意味 (岩波新書)』など、格差社会、リスク社会にパラダイム・チェンジしたことについて書いた本はたくさん話題になりました。この辺りの社会問題は、今もメディアでもいろいろと報じられています。いま、そんな社会で少しでも安心していくにはどうしたらいいのでしょうか。
専門的な仕事の能力を磨いたとしても、その仕事ができる人の数が市場によって限定されていて、一生その仕事で稼いでいける確証はないというのは確かです。しかしながら、能力が人より劣ると思われたくないがゆえに、人の悪口を言ったり恫喝をしたり、そんな行動に出てしまうと、周囲の人から信頼されなくなり、生きていく道が完全に断たれる可能性が高いです。このような行動をする人の気持ちについて述べた箇所があります。
…他人が自分と同じ不幸になることを願う気持ちを「エンビー型」と呼んで、このタイプの嫉妬が近年増えていると述べている(和田*1『幸せになる嫉妬 不幸になる嫉妬』)。目的合理的でない犯罪は、この「エンビー型」嫉妬を原動力にひきおこされる、つまり、「不幸の道連れ」なのである。人生を捨てている人に怖いものはない。死刑になる可能性があろうとも、刑務所に入れられようとも、意に介さないだろう。なぜなら、「努力しても報われない日常生活」こそが、彼らにとっての「獄」だからである。(P.209)
いまの時代に「報われない努力」はたくさんあるとは思いますが、特に報われる可能性が低いものが「言うことを聞いておとなしく過ごす努力」ではないでしょうか。仕事の上で提案を通したり、難しい案件を複数処理してきた僕には「獄」というほどの状態には至っておりません。僕に対して「不幸の道連れ」を行なおうとする行動があれば、NPOや行政や同僚や人事の専門家と連携して、対処できます。仕事を通じて、様々な業界で活用できそうな能力を磨いたことで、リストラ後の人生設計を描くことは十分に可能です。
僕がいまおかれている状況は、希望に満ちたものではないかもしれませんが、自分から諦めない限り、希望をもつための選択肢がなくなることはありません。
私は、人々を不安に陥れ、暗い気分にさせるために、本書を執筆しているわけではない。明るい話を書けば社会が明るくなるなら、社会問題など何もなくなってしまうだろう。先の学生たちの感想にあるように、まず、現実に何が怒ったのか、起こりつつあるかを「ありのままに」見つめ、その現実が生じた原因、というよりも、おおざっぱな流れを私なりに解明したつもりである(P.225)
という言葉もあります。社会を恨むことや、誰か個人を恨むことに囚われるよりも、まず「ありのまま」を見つめてみる。本の執筆に限らず、人生の希望についても「ありのまま」に見つめることがスタート地点になるような気がします。