科学とからみ合うクオリア―『脳と仮想』

脳と仮想

脳と仮想

 文庫版はこちら(link:asin:4101299528)。 引用ページ番号は単行本版によります。
 世の中には「仮想」なものがたくさんあります。「序章 サンタクロースは存在するか(P.7)」とあるような、サンタクロースの存在はたしかに仮想といえます。

 私たちが、「現実」と「仮想」と呼んでいるものたちのそのものの成り立ちについて考えることで、意識を持った不可思議な存在としてこの世界に投げ込まれている自分自身の生について、改めて振り返り、よって自らが生きる糧をとしようと思ったのである。(P.10)

 茂木さんがそう考えたとして、わたしたちはこれをどう扱えばよいのか、という疑問が思い浮かびました。私たちの多くは脳科学者ではないし、人気の著書著書をバブル的に*1たくさん著す有名作家ではないはずです。このような、難しくて理屈っぽいことが、いわゆる普通の人々にとって、生きる糧と成り得るのかという疑問です。
 かつて、科学というものの考え方が出現しました。この本では、科学のことをこう定義しています。

 科学は数値にできる客観的な物質の変化を扱う。クオリアに満ちた主観的な体験は、それを定量的なデータに翻訳して初めて科学の対象となる。その課程で、小林(秀雄)*2が指摘したように、私たちの体験のほとんどの部分は抜け落ちてしまう。主観的な体験そのものを直接扱うことはできないのである。(P.21)

 いまから100年ほど前の時代では、科学に深く関わって生きてきた人は少なかったのだと思います。科学によってもたらされたものは、産業革命による機械技術の発展、航海技術の発展による大航海時代、貿易による新たな経済の流れ、などです。この頃、多くの人は伝統的な農業中心の業務に従事しており、科学技術を直に体験して行為に反映させていたわけではないと思います。たとえば、坂本龍馬のように航海や貿易を扱えるのは、社会全体からみれば特別な人物でした。
 明治時代においても、科学などの学問を修める人というのは少数派で、多数の人はそう生きているわけではありません。したがって、ある種の反感を買う場合もあるのでしょう。

 ずっと、漱石が感情移入しているのは、主人公の「坊っちゃん」だとばかり思っていた。学士様で、『帝国文学』を読み、英文学の知識をひけらかず赤シャツは、どちらかといえば反感を受けるべき「敵方」の人物だと思っていた。
 しかし、そう思って考えて見れば、『坊っちゃん』の登場人物の中で、漱石その人に誰が一番近い客観的プロフィールを持つかと言えば、赤シャツに決まっている。(P.73)

 しかしながら、現在は人口の多くが工業やサービス業に従事していますし、第一次産業である農業や漁業も科学技術の恩恵により運営されています。全ての人が科学の存在に直に影響を受けていて、生活にとって切り離せないものとなっています。
 科学は、定量的なデータのみを扱うものとして、限界をもつものです。ですから、人の想像力・仮想・茂木さんのいう言葉でいう〈クオリア〉的な考えへ、私たちの考え方は変わってきているのではないでしょうか。それは科学批判ではありません。定量化して観察することから得られるものは、いまでも多大な価値を生み出すものです。
 しかしながら、地球規模での環境問題があります。離れた人との間でお金をやりとりする貿易や金融から、グローバルな経済危機が起こり得ます。問題の規模が大きいほど、データを観察するというアプローチでは対応が難しい面があります。必要なデータを集めることそれ自体に労力がかかるからです。
 ある分野の専門家一人がデータを集めたとしても、その範囲の知見だけで全体を解決するソリューションを導けるとは限りません。複数の専門家が知見を持ち寄って、わかりあう場面では、ある種の想像力をもってコミュニュケーションする必要があります。どんな頭のよい人でも、膨大なすべての専門分野について理解をすることは不可能ですから、相手を信頼して仮想的な知見を受け入れることも必要になります。
 ですから、これからの時代には、多くの人がある種の想像力―茂木さんのいう〈クオリア〉―を考えて日々の糧とすることも、十分にあり得ると感じました。それに対して、ある種の反感を持つ人もいるかもしれませんが、それもこれまでの社会を支えてきた立派な考え方であり、ひとつの価値ある体験です。反感に対して更に反発を重ねるのではなく、自ら知見のを深めて影響力を強め、お互いの協力に繋がるようなことをを根気よく続けていきたいと思いました。

*1:余談ですが、書籍バブルについて一連の話題は興味深かったです。|a.一個人|心に残った本||池上彰「伝える力」 http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html |b.ウチダバブルの崩壊 (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2010/08/13_0928.php |c.茂木健一郎 クオリア日記: 当事者として http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/08/post-be9f.html |d.書籍バブル論について〜私も当事者の感想を入れます- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!! http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2010/08/post-f4b3.html |e.「バブル」後記 (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2010/08/14_1032.php

*2:追記