苦難から身に刻まれた共生の思想―『リンゴが教えてくれたこと』

リンゴが教えてくれたこと 日経プレミアシリーズ

リンゴが教えてくれたこと 日経プレミアシリーズ

 現代社会は早いスピードで移り変わり、人生きる拠り所を見失いがちになるのかもしれません。苦難としか言いようのない体験をする人もいます。著者の木村秋則さんも多くの苦難を体験しました。そして木村さんがたどり着いたのは、自然や社会の環境に一方的に従うのではなく、自ら感じて考えたことを実行し、互いに共生できる生き方にも思えました。
 無農薬のリンゴ栽培には、長年数多くの苦難がありました。栽培が上手くいかず、ついに「死んでお詫びをしよう(P.64)」というところまで追い詰められるのですが、死ぬために入った山奥にて放置されていたリンゴの木を発見し、山奥の土のふかふかした感触からひらめきを得て工夫を重ね、終には「奇跡のリンゴ」を成功させます。
 木村さんが目標とするリンゴ栽培を実現するためには、それまで常識と信じていた方法を捨てねばなりませんでした。信じてきた方法を捨てる前に、死の覚悟をする瞬間があったことに意味があったと思われます。人は、環境が変わったり上司など周りの人から何か言われたりしたとしても、考えや行動を変えていくのは本当に難しいもあると思います。そんなとき、人の心の底では何かがうごめいているのだと思いますが、目の前の事実や正しい意見から目を逸らしてしまうのかもしれません。どんなに強い人でも、そんな状態になってしまうことがあり得るのです。死の覚悟をもったときに新しい方法が木村さんにひらめいたのことは偶然ではなく、死の覚悟によってそれまでのやり方に固執する気持ちが薄らいだゆえの転機だったのかもしれません。
 リンゴ栽培を成功させた木村さんは、全国や海外にその農業のやり方を教育する活動をしています。人が自らのやり方を変えづらいものだとして、そのなかで人を動かしていくためにできることとは何でしょうか。木村さんには長年の探求によって、様々な実験結果や栽培の成果があり、はっきり述べることができる理論や思想などがあります。そんな探求の記録は、木村さんが農業を行う上で必要だった以上に、他人を説得して動かしてゆくために必要だったのだと思われます。

 地球の中では人間も一生物にすぎません。木も動物も花も虫たちも皆兄弟です。互いに生き物として自然の中で共生しているのです。
 人間はもっと謙虚になるべきだと思います。人間は自然の支配者ではなく、自然の中に人間がいるよと考えるべきです。(P.5)

 自然の環境と調和して、持続可能なよい未来をつくるために、この共生の気持ちが有効にはたらいているのだと思います。木村さんは名刺などにハマキムシのイラストを書いているそうです。これは病虫害を引き起こして木村さんのリンゴに多大な被害をもたらしていた虫で、本来ならば憎むべき存在なのですが、

実にさまざまなことを教えてくれたこの虫のことを忘れないよう、また彼らに感謝の気持ちを表すために、私は自分の名刺や出荷用の段ボール箱に私が書いたハマキムシのイラスト(五十一頁)を載せています。(P.52)

としています。病虫害の被害については、近隣の農家からも非難されたそうです。しかしながら、それらの人たちを憎むようなことはしていないように感じました。だから、農作物におこっていることや、人々が考えていることを素直に感じ取って、成果に結び付けられるのだと思います。
 最後のほうに、木村さんが地域社会の問題や、地球環境の問題について触れた箇所があります。人を憎んだりしない人だからこそ、これだけ多くのことを考えて実行できるのだと思いました。