空気を少し変えると、不満や退屈が変化する−『教育力』

教育力 (岩波新書)

教育力 (岩波新書)

 経験を積んだ人にとって、自分の体験を伝えたいという思いが発生することは多いと思います。人が人として生きる上で、技術や知識や文化などを贈与し継承することは、生きる上で必要なことと考えます。

 「人に何かを教えたい」という気持ちを「教育欲」と呼ぶとするなら、これは人間の欲望のなかでも大きなものだと私は考えている。一種の支配欲にも少し似ている。変形欲(自分の力で人を変形させたい)という、何かやみくもな欲望を持つ人もいる。そういう人のなかには、教師という仕事に就いていたとしても、自分自身が学ぶことをとうにやめてしまっている人も少なくない。それは教壇に立っている人を見れば、ほとんど即座にわかるものだ。(P.24)

 僕は教壇に立っているわけではありませんが、職場で仕事のやり方を教えて伝えるということはよくやっていました。PCの操作などは、工夫によって何倍もの作業がはやく進行したりするので、それを示してあげるとたいへん喜んでくれました。また、デザインやマーケティングの専門知識を活用することは仕事の進行のうえで大切であり、悩みながら理解して仕事の反映させたときの喜びはよく覚えています。しかしながら、その場で喜ぶだけで終わってしまい、工夫しつづけようという雰囲気を生み出すことは難しい場合もありました。

 「別にそんなの、どうでもいいじゃん」という空気が、経済のバブル時代の状況と連動して生まれてしまったのだ。(P.44)

 だから、まず「教養がないということは恥ずかしいことなんだよ」というような、そういう大きな空気をつくっていくことが必要である。(P.45)

 バブルのような時代であれば、仕事の業績などが発展していくなかで、学ばなくても成果があるように錯覚してしまうのかもしれません。そんな空気を変えるためには、自ら学んでいくことに注力することが大切でした。社会が自然と成長するわけではない現代では、自分の頭にある「世の中の常識」と呼ぶものだけで、社会に通用することは実行できません。

 私の考える教育の基本原理は、「あこがれにあこがれる関係づくり」だ。新しい世界にあこがれ、燃えて学んでいる人は、魅力を放っている。その人の「あこがれ力」に触発された人は、自分も学びたくなる。教育の基本は、学び合い刺激し合う友情の関係だ。(まえがき)

 だから、このような魅力を出せる人でいたいと思っています。単なる欲望に支配されてやみくもに人を変形させるのではなく、自ら学び続けることが教える関係を築く基礎だと理解しました。自分のことをわかってくれないという不満を抱いる人もいます。僕も常にうまく学んでいるわけではないので、気持ちもわかります。不満をもつ人たちも自ら学ぶということをやってみればいいと思います。つまらない口出しだけしかできない人や、退屈なのか居眠りをしてしまうような人がいるなかであっても、真面目に学ぶ姿勢と保ち続けていると空気が変わっていくように感じたことがあります。
 人が人の考えることを伝えようとして、お互いにじっくり取り組む関係が少しづつ広がっていけば、不満や退屈が少しづつ変化するものだと思いました。