個人の頭のなかにある「世の中の常識」に水を差す−『先生はえらい』

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

…価値のわかりきったものを交換するというのは、「交渉を断ち切りたい」という意思表示なわけです。完全な等価交換というのは、交換の無意味性、あるいは交換の拒絶を意味します。(P.78)

…コミュニュケーションにおいては、意志の疎通が簡単に成就しないように、いろいろと仕掛けがしてあるのではないでしょうか?そうすれば、コミュニュケーションがどんどん延長されますから。(P.103)

 「わからない」という言葉を多く使う人がいたことを思い出しました。その人が「わからない」というと目がどんどん輝いてきて、会話が白熱するという体験をしたことがあります。その人の「わからない」を単純に拒絶のサインだと考える人もいましたが、話し合いがうまくいっていませんでした。言葉の表面だけを見て、コミュニュケーションの遮断をひきおこし、必要な理解が得られないとしたら面白くありません。ですから、相手のことをよく見て話をするべきなのだと、僕は考えました。
 「わからない」を単純に拒絶のサインとして考える側の人は、「これが世の中の常識だ」「みんながそう言っている」というふうな、決め付ける発言が多いです。「みんな」が言っていることを実際に調べてみると、違った意見がたくさん見つかるという体験が多かったです。人の考え方や口ぐせなどを変えてしまおうとは思わないのですが、「みんながそう言っている」と決めつけたがる人がいた場合にどう対応したらよいか。そういう人には「わかりました」とはっきり答えてあげると、急に不安そうな表情になることが多かったです。決めつける人は、本当はあまり考えていないので不安を抱えているのです。そんな体験から、このコミュニュケーション論に僕は賛成です。
 こういう考えは、様々なコミュニュケーションの場面で考えられることだと思いました。なぜなら、誰かが何かを教えるという行為は、職場においても地域のコミュニティにおいても、組織だったまとまりを維持するなかで、頻繁に登場するものだからです。