ゆっくりを受け入れるテクノロジー−『「ゆっくり」でいいんだよ』

「ゆっくり」でいいんだよ (ちくまプリマー新書)

「ゆっくり」でいいんだよ (ちくまプリマー新書)

 文化人類学者、環境活動家による、いわゆるスローライフを提唱する本。ちくまプリマー新書ですので、主に中高生向けであり、やさしい文体で書かれています。
 中高生ならばこの本の内容をすんなり受け入れられるのかもしれませんが、僕はこれまで工学部の大学院まで学び製造業や設計事務所で、工業製品を扱ってものを生み出すことに携わってきたので、少々痛みを伴なう内容でした。読み終えて思ったことは、僕はやっぱり経済的活動にも貢献したいということ。この痛い気持ちにどう決着をつけたらよいか考えて書いたエントリが『「新しい仕事」を投入する意味とは - FDmountwill_millsの日記 』でした。改めて、もう少し掘り下げて書いてみます。
 今の時代は、ものを生み出すような経済的な活動を行うとき、ゆっくりと観察する姿勢がより強く求められるのかもしれません。それを象徴しているのがこの本に紹介されていた釣り人のエピソードです。舟で釣りをしている漁師にビジネスマンが尋ねます。

「もっと魚をとらなくていいのか」ときく。「もっととるといいことがあるかね」と漁師はきき返す。
「そりゃ、もっととればもっとお金が稼げるだろ」
「もっとかせぐといいことがあるかね」
「そりゃ、かせいだ金でもっと大きな網も買えるし、もっと大きな舟も買える。そしたら、もっとたくさん魚がとれて、もっとお金がもうかる」
「そんなにお金がたくさんあったらいいことがあるかね」
「そしたら、もう金の心配もなく、のんきに舟でも浮かべて釣りでもしながらくらせるじゃないか」(P.18-20)

 お金を稼ぐというアイデアがあったとしても、それが巡り巡って何のためにもならない場合もあるかもしれない。そんな複雑な場面があること想定して、より確かなアイデアをものにすることが大切です。*1「何のため」「誰のため」を明らかにして、適切なアイデアを行う専門家になるならば、スローライフと一切矛盾しません。文化人類学者のような、ゆっくりと冷静に観察する専門家に似た行動がこれから新しいものを生み出す人には必要になると考えます。

 たとえばきみの住んでいる家のことを考えてみよう。家具や電化製品やさまざまなモノでごった返していないかい?そこから、ひとつまたひとつと引き算をしていって、モノをlessに(より少なく)してみよう。すると、部屋の中のスペースはmoreに(もっと多く)なって、部屋は広くなる。またモノを使ったりその手入れをしたりする時間がいらなくなって(less)、もっと多くの時間(more)が手に入れられる。これがless=moreだ。(P.109-110)

 これと同じ言葉を言った、建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉が思い浮かびました。新しいものをデザインしたり生産したりすることは、スローライフと矛盾するものではないと思えます。20世紀の巨匠と同じ考えに至っていることから考えて、これが産業のものづくりに対する矛盾でないことは証明されいるのかもしれません。

 アニメ映画の宮崎駿監督がどこかで言っていたことを思い出す。元気のない今の幼い子どもたちに元気を出してもらうためには、まず保育園や幼稚園の庭をデコボコにするのがいい、と。実際にそうした保育園があって、子どもが確かに生き生きと元気にかけ回っているという。(P.139)

 こうした魅力的な庭などをつくるとき、庭を設計する専門家の力も必要です。また、快適な庭をつくりにはそのための材料も必要です。
 以前ニュースで、コンパクトシティを目指している富山市にて運転免許証を返還した男性を取り上げた内容を見たことがあります。その男性は、路面電車に乗ってホームセンターに出かけていき、庭につくる柵を買って帰るなどしていました。交通事故の危険やエネルギーの問題から、自動車に頼る生活を見直そうというアイデアがあったとしても、生活を豊かにするための買い物などを行うことが可能な都市があって、はじめてそのような生活ができます。
 高齢者の居住については、体力の低下を考慮した設計なども必要となります。そうした社会に関わる専門家は、「ゆっくり」を受け入れることによって冷静な観察力を導入し、その専門性を今後も発揮をすることを期待されていると考えます。