遠い時代の多感な成長する少年たち−『少年譜』

少年譜

少年譜

 多感な少年の姿を描いた短編小説集。ここに登場する場面は、はっきり年代が述べられていない話もありますが、昭和20年〜40年あたりです。
 この時代の子供は、大人と接する機会が現代の子供よりも多いのかもしれません。この短編集のストーリー全部が、大人と子供とのやりとりを中心に描かれており、しかもその関係は父母でも教師でもありません。現代の子供を描いた小説においては、子供の悩みは同年代の友だち関係に表れることが多い気がします。それは近年に特有なものかもしれません。
 この短編集のなかでは「親方と神様」が特に好きです。鍛冶屋の親方とそれに憧れる少年とのひと夏の思い出であり、少年の成長を描いています。年配の親方は少年の将来を思いやったうえで、ある決断に至ります。親方が登場する時代は経済成長前です。それは、鍛冶屋という形態での製鉄業が変化することを踏まえた決断と感じられました。親方は、世の中の動向に明るい知識人タイプではないと思いますが、長年の体験からくる思考を通して、その決断に至ったのだと思われます。
 年代や男女の性別や育った国の事情など、いろんな違いがあるほどコミュニュケーションには想像力が必要となります。人が相互に理解し合うためには、それぞれが背景にもつ異なる体験を思いやることが必要だからです。現代における年配の人について、想像力を発揮するための手がかりは、ドキュメンタリーや映画や、自分の祖父母の思い出話など、誰もが少なからず知っているはずです。この小説を読むときも、それと同様な想像力が必要と感じました。
 僕の身近には、相手の年代が少し違っただけで、コミュニュケーションができなくなる人が何人かいました。僕が管理職の人や役員や社長と何度も話していたとき、何でそんなに話ができるかと不思議に思う人がいたことを、以前ブログに書きました*1。年代が少し上、あるいは下、たったそれだけのことが原因で何も言えなくなるのは、相手を思いやる想像力が欠けていたからではないでしょうか。

*1: 思えば、昔からリーダーの人が大好き - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20091202/1259698201