表題とは裏腹な多様な激動、しずかに受け入れる少年の夏休み−『しずかな日々』

しずかな日々

しずかな日々

 さいきん文庫版もでたようです(link:asin:4062766779)
 少年の夏休みもの、こうした描写は小説として定番です。成長をつづけるこころとからだとともに刻みつけられた、様々な想い出が凝縮しているのが夏休みです。
 主人公の少年は勉強やスポーツが得意というわけではなく、このお話が始まるまではクラスでも目立たない存在だったため、周囲に無関心な性格になっていると感じました。そんな彼の日常が仲のよい友人ができたことをきっかけに、しずかに変わってゆきます。そして母親と家で過ごした日々から、おじいさんの家での暮らしへという変化がおこります。クラスメイトや同年代の友人たちとの交流もどんどん増えてゆきました。それを主人公の少年が素直に感じ取る様子がしずかに綴られていきます。
 しかしながら、彼の日常かなり多様な変化が含まれています。じっさい小説になるぐらいのドラマチックな日々なわけですが、そこがあまり感じられないほど、主人公の周りの出来事をしずかに素直に受け止める文体として、日々の出来事が書き綴られていきます。出来事の描写だけでなく、周囲の登場人物の描写も多様なものであり、はっきりとした個性をもつ存在として描かれているのですが、それもまた実に素直でしずかに書き綴られています。
 ところで、人は他人の個性というものを、いつもこのように素直に受け止めることができるのでしょうか。出る杭は打たれる。自分の考えと違うものには目を向けない。そうやって、自分の世界に閉じこもる場合もあるように思います。
 成長というものイメージとして描くとき、多感な子供の姿は実にしっくりくるものです。おじいさんの家に活き活きと入り込んでくる夏の空気もそれにふさわしいものです。もし、大人が日々成長するイメージを見失ってしまうことがあるならば、そういうものに立ち戻れば、成長を思い出すきっかけににもなるのかもしれません。
 少年のおじいさんの家では、おじいさんの規則正しい生活のもと、丁寧に手入れがされており、気持ちのよい庭があります。少年から見て、おじいさんやその家の様子は、かけがえのない成長の日々として思い出されるものになりました。わたしたちは、それぞれこうしたかけがえのない体験を経て成長するものです。そういう場所を見失うようなことをしていないかどうか、様々な個性をもつ人同士の交流から離れていないかどうか。家や生活の場や、自然の空気を感じる機会から離れていないかどうか、考えさせられるものがありました。社会が経済効率のみを求めて、経済面で成長できない者たちを疎外しているのであれば、豊かな自然の空気を感じさせる場所や人との交流から取り残された人が出てきてしまうのではないか。それを防ぐにはどうしたらいいか。
 よい小説は、イメージを豊かにさせてくれます。それを経て現実の生活を見つめ直すと、また新たなひらめきが生まれてくるようです。