掛け算のファクター−『ひらめき脳』

ひらめき脳 (新潮新書)

ひらめき脳 (新潮新書)

 前回の記事で紹介した『すぐに実行できるのに誰も教えてくれなかった考える力をつくるノート』*1の、茂木健一郎さんの授業に登場した内容も多く含まれています。
 最初に登場するのは「アハ体験」です。なつかしい。この本がでた頃(2006年)テレビ番組「世界一受けたい授業」にて茂木さんが紹介していたものです。4年もたつと、どんなものか思い出せない人もいるかもしれませんね。いま僕は、これを読んでいる人が「アハ体験ってなんだっけ」と、やきもきした気持ちを抱くことを想定しています。まさにこの感覚が、ひらめきから生まれる創造性に深く関わっているのです。

ロジャー・ベンローズが主張している、「創造することと思い出すことは似ている」というテーゼがあります。これは、ひらめきにおける脳のメカニズムを考えた時、とても重要になってくる仮説です。ベンローズは、新しいものを産み出そうとする創造性と、すでに脳内にあるものを取り出そうとする記憶の換気の間には類似性があると指摘しているのです。(P.66)

 そこから導かれるのは「無からひらめきは生まれない(P.74)」ということです。僕が聞いた話で「仕事をうまくやったりデザインを考えたりするのは、センスだから自分は何もできなくてもしょうがない」などと言う人がいたことを思い出しました。その人が短大あるいは大学で専攻したデザインの技術や専門的知識について、その人自身はあまり重きをおいていないように見えました。その人の話し方は、短絡的な思いつきが多く、内容の薄さを隠そうとするためか、攻撃的な大声になることが多かったです。普段はやたらと緊張した顔でPC上に向き合うことが多く、一方で居眠りも多い。そこまでいくと話になりません。*2
 一方で「僕には知識の引き出しがないから何もできない」という言葉を言う人もいます。自分の意見を言わず、ひたすら誰かの言うことを聞いていることが、有意義な仕事だと思っているようです。前述の「無からひらめきは生まれない」という観点のもと、そう考えたくなるのもわかるのですが、それもまた成果には結びつきません。広く公開された記録や結果が証明しています。
 だから、「創造性は、「体験×意欲」のかけ算で表されると言っていいでしょう。(P.117)」という茂木さんの言葉に表されるとおり、体験と意欲の両方のファクターが重要であると考えます。かけ算の性質として、その途中に極端に少ないファクターがあれば、成果の総量は向上しないからです。

産業革命以後、近代を経て高度経済成長を迎える頃には、知識が豊富な人や事務処理能力の高い人、俗に言う「ホワイトカラー」が評価されてきました。
 では、現代社会においてどのような能力が求められているのでしょうか。
 そのキーワードとして、「創造性」や「ひらめき」を挙げることができると私は思っています。…(P.26)

 ひと昔まえの社会と現代社会との違いは、インターネットやPCの普及という点にあります。世界中からアクセス可能にするのがインターネットなので、ひらめきに限らず悪い評判などもすぐに伝わります。すばらしいひらめきは、それが他の人に伝わって利用されることによって、より大きな成果をもたらします。
 また、PCによる業務処理は、ひらめきからくる工夫を投入するによって何百倍にも向上します。以前、僕がいつものように半日で図面100枚ていどのちょっとした修正を行ったとき「これを半日でやるのは無理ですよね」と言ってきた同僚がいました。当時の彼は、様々なちょっとした操作のコツや、マクロなどの活用をあまり知らなかったようです。彼もそれなりのベテランだったので、長年の経験からもう少し多くのことを学んでいてもよいと思ったのですが、彼にはひとむかし前の「ホワイトカラー」のような仕事だけをしていれば世の中についていけるはずだ、という思い込みが強いために、学ぶことができなかったのだと思います。
 それと対比する形で思い出したのは、大学時代の先生のことです。この頃普及しはじめたWindowsのPCを使用するにあたって、先生は苦労されていました。エクセルやワードの使い方が全くわからず、学生の助けを要していました。しかし、その数時間後、うまくマクロの処理をしていたことに驚きました。先生には、それまでに数多くの研究に関するデータ処理などを、古いPCで多く行ってきた体験がありました。ですから、先生はその研究生活のなかで、コンピュータというものは計算処理によって膨大な処理を便利にできるはずだ、という確信を強くもっていたのだと思われます。その違いは数時間のうちに表れるのです。
 新しいことを始めるとき、怖いという気持ちが沸き起こるのが人の自然な感情とは思います。それは、動物がもつ危険回避の本能でもあります。新しい餌を獲得するため、陸地から海に飛び込む「最初のペンギン」が抱く心の乱れについて考えると、新しい知識や体験を学べずにいた人の気持ちも理解はできます。だから、僕は新しいひらめきや成果を出せなかった人たちを、批判してやっつけようというつもりもありません。しかしながら、勇気を持って飛び込まなければ、ペンギンは餌が枯渇した陸地の中で餓えてしまうのです。勇気を持って踏み出していけば、今までと違う価値ある体験を積んでいけると思います。

*1:『すぐに実行できるのに誰も教えてくれなかった考える力をつくるノート』 - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20100711/1278843172

*2:僕としては、彼らをやっつけようと思ったのではなく、彼らにも正々堂々とひらめきや創造性を発揮してほしいからここに書いています。個人情報を特定できるようなことはもちろん書いておりません。彼ら自身や、周りの人たちの切実な願いを考慮して記事に盛り込みました。悪しからずご了承ください。