「空気」と「世間」はなくならないが、同時に「社会」へアクセスすることは可能

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

 直接、面と向かって「空気を読め」と言われた人はすくないかもしれません。けれど、「空気を読もう」と思って、慎重になり、怯え、焦った人は多いと思います。(P.3:はじめに)

 「空気読め」はデリカシーがない言葉なので、人に向かって真面目に言う人はあまりいません。そういう言葉を平気で言える人は、どちらかと言えば人から嫌われてしまうでしょう。
 KYという言葉が一時期流行りました。「空気」は人々の行動に強い影響をもたらします。安心して行動するため、空気のメカニズムを理解しようということがこの本の趣旨です。「空気」なるものの正体を理解すれば、無駄に怯えてしまうことも少なくなるからです。
 最初のほうで、テレビのバラエティ番組司会についての言及があります。著者の鴻上尚史さん自身もバラエティ番組の司会をしており*1その実情を知る人からの意見として説得力がありました。空気を読むことは、本来は難しいことです。テレビのバラエティ番組は、プロの司会者・タレント・番組スタッフなどがプロの能力を発揮してつくられるものです。日常のやりとりを、テレビと同じように行うことは難しいことです。「誰かがこう言っている」という空気を読んでいるつもりでも、それを誤解してしまう場面もあるのではないでしょうか。実際によく確認して考えてみる必要があります。
 空気を読むことについての重要な事例として、阿部謹也さんによるの一連の「世間」の研究と、山本七平さんの『「空気」の研究』があげられていました。本の表題はそこを反映したものと思われます。
 阿部謹也さんの研究について、以前にこのブログで取り上げたことがあります*2。僕は『「世間」とは何か』を読んでから、身の回りのひとびとがどういうことを考えて行動しているか、参考にして考えるようになりました。なぜ「世間」が「空気」と関連するかという点については、鴻上さんはこう指摘しています。

「この『世間』が流動化して、どこにでも現れるようになったのが、『空気』なんだよ」(P.51:世間とは何か)

 この本は、阿部謹也さんや山本七平さんの本よりも新しい時代―現代の環境―についても言及しています。経済的グローバル化は、日本の「世間」を弱める方向に作用しています。「終身雇用」と「年功序列」という、「世間」的な特徴をそなえた会社のシステムを弱める方向に作用しているからです。ひと昔まえの経済成長期にある日本では、農作の村落共同体に似たシステムがうまく作用したのですが、現代では確かにそれが通用しなくなっています。
 会社には、利益獲得や事業継続などの明確な目標があるため、それ反するようなことを「みんながこう言っているから」という理由で押し通すようなことは、結局は通用しないのです。会社の方針や社会状況を読み間違えていないか、きちんと確認する必要があります。たとえば、社会状況をきちんと踏まえた上で成長分野への注力という会社の方針があるとしたら、何となく経費節減したいので人員は雇えません、ということは通用しないようです。明確で合理的な「社会」的ルールがここでは優先します。
 また、インターネットの状況についても言及がありました。インターネットはひとつの道具なので、「世間」や「空気」の敵でも味方でもありません。学校いじめサイトなどのように「世間」のしがらみをいびつな形で増幅するひどい発言が横行すこともあれば、「社会」とつながって個人の生き方を開く道にも成り得ます。「世間」や「空気」が強力に作用して息苦しい思いをしているのならば、安心できる共同体としての「社会」あるいは「世間」を見つけることが大切になります。
 「世間」や「空気」は一方的に悪と決めつけられるようなものではありません。それら「安心出来る共同体」のひとつの側面でもあるからです。安心して生活し行動するために何ができるか、考え続けたいものです。
 

*1:NHK | COOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポン http://www.nhk.or.jp/cooljapan/

*2:世間は社会に通用するか - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20100110/1263049571