小室淑恵×優木まおみ

http://www.nhk.or.jp/hataraking/buchake/buchi20_090922_01.html

“一言で言って、ものの伝え方がストレート過ぎて、企業にとって一番厄介な女性だという風に思われたんだと思います。
現場レベルの面談では評価いただけても、最終の役員面接になると面接官が全員男性なので、役員男性にとって「採用したい女性像」と私がかけ離れていたので、落ちるということを繰り返したんですね。そんな中資生堂は最終面性にまで面接官に女性がいて、その女性のおかげで採用していただくことができました。”

 “win-win 言葉責めプレイ - FDmountwill_millsの日記”というやや失礼なタイトルの記事を書きましたが、やっぱり小室淑恵さんは根本的にはストレートな言い方があるようです。いろいろ配慮などした上でストレートが決まれば人を動かすことができますが、それだけでは門前払いですね。女性だけでなく、男性でも十分にあることです。

“だれにも求められていないような気分で、あのときが一番辛かったですね。”

“たくさんの企業の人事部さんに諭される日々で、100社以上に断られたんです。”

 僕は小室さんと同じ年齢なので、いわゆる就職氷河期からその後の社会の中で似た体験をしてきたと思います。小室さんの本や記事を何度も取り上げているのは、そういうところにすごく共感するからです。

集合知と個人のビジョン

 最近、集合知というものについてよく考えるのですが、人々が考えていることは必ずしもそのまま正解にはならないと考えます。自分が体験していない未来のことや、自分と違う立場の人についてまで考えて、はっきりしたビジョンを語ることは、誰にとっても難しいことだからです。どんなにモチベーションを上げて立ち向かっても、何度も困難を体験するでしょう。
 IT技術によって、情報を集積して分析することがより効率よくできるようになっています。それ自体はすばらしいツールと思います。しかしながら、未来まで幸せになれる具体的なビジョンが、集合知からそのまま導けるとは思えないのです。近年言われているようなワークライフバランスは、十数年前の時代では人々のアイデアをいくら集積しても、決して浮かび上がってこなかったと思います。
 未来を具現化するようなものは、やはり個人の強い想いから始まるではないでしょうか。様々な配慮や、問題解決スキルやプレゼンスキルや業務の専門知識を活用する個人、その価値は今後も決して失われることはなく、むしろより強く求められるようになると考えます。