グローバル化は止められない 人材という観点からも

「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)

「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)

 僕は以前から、職場の人材育成についての興味がかなり強いようです。「モノ」のデザイン的な技術や知識だけでなく「コト」のデザインについて。特に、仲間の強力を集めて責任ある仕事をしようとする立場として、職場のことについては切実に考え続けたいことなのです。

本書の対象となる読者
 本書は、私がフリービット株式会社(以下、フリービット)において、「日本で最も人材を育成する会社」をめざすべく、実際に導入している人材育成プログラムの論理的な背景と、プログラム導入の実践上のポイントをまとめたものです。
 企業の人材育成担当者に向けて書かれた本ですが、経営の行き詰まりに直面している経営者の方々や、自らの成長戦略を考える若手のビジネスパーソンにとっても何かしら得るところがあると期待しています。(P.9 はじめに)

 自分が人材育成担当者という意識はありませんでしたが、「人に教えて欲しい。」と言われることがかなり多い方でしたし、その点についてはいつも考えてきたように思います。ブログを書き始めた初期に考えていたことも、人に教えることについてであり、ずっと一貫しています*1。そして、もちろん自分の成長戦略についても考え続けていますので、この本を手に取りました。

グローバル化

 すべての日本人がグローバルな人材市場に投げ出されようとしている現在、きちんとした人材育成を打ち出せない日本企業は、従業員の多くを路頭に迷わせることになります。(P.29 何のために育てるのか(人材育成の目的))

 ここだけ抜き出してしまうと、ちょっと怖い印象の文になってしまいますが、重要なことと思います。近年では労働市場において平均的な能力の従業員は、海外のアウトソースによって労働力が獲得できるようになります。それが人材のグローバル化です。僕の知っている事例では、建築施工図の作成は中国に発注する場合も増えていますし、インドネシアの看護士が日本にやってきています。
 そこで、日本人の従業員は二つの方向に向かうと述べられています。勉強本やセミナーなどでスキルアップを目指して平均よりも高い業務能力を身に着けようとする人と、業務の能力が平均以下だとしても努力せずにゆっくり生きようとする人です。余談ですが、“<勝間和代>を目指さない”に関する一連の話題なども、それを象徴するものに思われました。

出戻り、退職

 新鮮に思われた点が、“出戻り人材の活用が必須になる”“一度自社を退職していった人材を「積極的に呼び戻す」というアクションが無視できなくなっているからです。(P.81 いつ育てるのか(タイミングを外さない育成)”という部分です。
 たしかに、近年では人材の流動化が起こっており、転職などの道がかつての日本よりも開けていると思います。退職者に対して人材育成を行う積極的な理由として、退職者が他で活躍できればそれを送り出した企業が尊敬を集めるからだと述べられています。例として、マッキンゼー楽天などが挙げられていました。以前にこのブログで、マッキンゼーを退職した勝間和代さんや渡辺謙介さんの著書を取り上げたことがあります。それぞれの活躍もマッキンゼーにとって価値あるものになっていると感じます。

 ところが、自社を退職してゆく人材というのは、これまでの日本では「裏切り者」でした。私も一番初めに勤務した会社を退職したとき、公式にはお別れ会すら開いてもらえず、とても寂しい思いをしました。(P.84 いつ育てるのか(タイミングを外さない育成))

 一方で、こういう場合も確かに多いです。ブラック企業というのも実際よく聞く話です。これは僕の考えすぎかもしれませんが、仮に退職者の多くが悪質な仕打ちを受けたと感じるのであれば、その企業は業務に支障をきたすほど評判を下げるということもあり得るのではないでしょうか。

人材育成の方法 あくまで科学的

 この本では、人材育成について科学的ににアプローチしていこうとする内容で一貫しています。読んでいる途中、人材の育成がこれほどルール的にはっきり決められたなかで実現できるのか、と思ったことも否定できません。しかしながら、むしろそんな自分の考えの方が甘いのではないかと気づかされました。

 教育効果測定が難しい理由は、その対象となるのは、物質的な長さでも、重さでも、面積でも体積でも、波長でもなく、教育効果という目に見えない、決して触れることもできない抽象的なものだからです。しかし、測定できないものはコントロールできないのです。(P.161 教育効果をどのように測定するか)

 それが難しいことであり、もともと抽象的なものであることぐらい、著者の酒井酒井穣さんも十分に理解されているようです。効果をもたらした事例もたくさん紹介されていました。そこで僕が考えたことは、僕がいままで考えていたよりも、もっとはっきりとしたルールや論理に基づいた教育のための行動が、何か考えられるのではないかということ。そして、それによって今まで以上の効果をもたらす可能性があるのではないかということでした。その希望を感じつつ、実行してゆきたいと思います。