龍馬伝 上士と下士 同じ人間

 昨日から大河ドラマ龍馬伝がはじまりました。第一回は身分の違いからくる理不尽さがこれでもかというぐらい描かれていました。土佐藩において、山内家関係者出自の武士である上士と、在来出自の武士である下士とで対立する理由が、『新装版 功名が辻 (4) (文春文庫)』で登場していました。土佐藩の設立時に行われたことが、幕末にまで影響しました。当時の社会の構図として、一部の人の傲慢さを助長する仕組みがあるがゆえに、ますます理不尽な態度になっていたのではないでしょうか。
 江戸時代初頭において、豊臣秀吉に仕えていた山内一豊の組織は、土佐藩の在来武家社会よりも優れた面があったのだと思われます。土佐は日本の中央から距離として離れているがゆえに情報格差が存在し、中央において成立しはじめた武士による安定した社会の仕組みについての情報が、伝わらない土地だったと推測されます。
 上下関係というのは、もともとは組織の運営に必要なものと考えます。安定した平和な社会のため、そこに属して生活する人々のため、その規律が必要な場面も確かに存在します。身分制度も、もともとは対立を引き起こすために存在する仕組みではないはずです。
 相手に対して「憎み、倒すべき敵」と考えたり、「蔑み、見下すための相手」と考えたりするよりも、「同じ人間であり、仲間である」と考えることがまず必要ではないでしょうか。同様に、自分たちの立場に対して「〜をさせてもらっているだけの。下の存在」と卑屈なイメージを抱いたり、「一方的に牛耳る。上の存在」と傲慢なイメージを抱いたりするよりも、同じ人間同士だと考える方がよいと考えます。それが人が人として協力し合ううえで自然な態度であり、上下関係を持ち込むにしても、それを踏まえたうえでないと理不尽な行動につながります。
 人を一方的に見下したり、過剰に卑屈な態度をとったりすること、それはその人の品性を下げるものです。人が人として生きるうえで、ドラマの悪役のような態度をして平気な人など、世の中にはいません。嫌な態度の人間がいるとすれば、それは何か理由があるのでしょう。
 平和で安定した社会のなかであれば、土佐藩武家社会制度もそれなりに機能していました。しかしながら、江戸時代末期において、諸藩の財政が困窮し、列強の侵略という危機も存在する場面においては機能しなくなります。旧来の武家社会の仕組みではその問題を解決できないというストレスが、人を理不尽で嫌な態度にまで駆り立てていたのではないでしょうか。
 難しい問題を解決できるのは有能な人間です。形式的に身分が決まっている状況では、上の身分の人間しか重要な地位で活躍できないため、有能な人材が不足することが、土佐藩武家社会が機能しない原因と考えます。江戸時代初期であれば、情報量や知識量において山内家関係者の上士が優れていたのかもしれませんが、幕末においてはそんなこともないはずです。