建築夜学校2009イベント twitterやwebに見る反応

 最近、twitterでこうしたイベント実況を見るのが好きです。会場にいないのがもどかしくなるような気持ちになりますが、一方で想像力が書き立てられる感じがします。
 建築夜学校2009というイベントがあった模様です。僕としては、twitterのタイムラインに出てくる実況や、そこに出てくる様々な意見を興味深く見ていました。その内容については、参加された方々のレポートが詳しいので、まずそちらを紹介します。建築夜学校のレポートは、他にもweb上にいろいろあるのですが、ひとまずtwitterハッシュタグ #yagakkou に出てきたもののなかから紹介。

夜学校まとめはこちら - architecture_database
建築夜楽校2009第二夜 - To scene Too good
建築夜学校第二夜レポート : deline
ぽむ日記 2014年 3月

 

第一夜 BIM(ビルディングインフォメーションモデル)

 第一夜で話題の中心だったのは、BIM(ビルディングインフォメーションモデル)についてです。単なるCADであれば図面ができるだけですが、いろんな情報を付加することによって、部材の拾い出しであるとか、構造計算や施工に必要な情報など、様々な情報をスムーズに扱えるようになるものだと捉えています。個人住宅向けソフトであれば、僕も利用したことがありますし、ソフトメーカーのセミナーにも参加してきました。それがあると設計作業が楽になるかと思いきや、結構扱いが難しくて悪戦苦闘している日々です。良い設計を実現するためのツールとして使いこなしたいですね。
 製造業での設計にも、CADソフトやデータ管理に様々な工夫ができるようになっています。エクセルの集計を工夫するだけでも、いろんな作業が軽減になる場合があるので、こうした工夫を考えるのが好きでした。これがうまくいって、単純作業的な時間を軽減できると、よりよい設計を考えたりするための時間に力を集中できます。
 日建設計の山梨さんという方の話に特に惹かれました。こうしたソフトを扱うのは、若い人の領分になりがちです。若い人ほど学校でソフトの扱い方を習っていたりしているため、PCの操作そのものについてはすぐに慣れてしまうからです。しかしながら、山梨さんのように組織のなかでリーダー格にある人が、その内容を熟知して、明確にディレクションできるのであれば、そちらの方が断然よいと思います。
 個人的な体験では、経験の少ない人を見ていると、操作そのものはスムーズにできているように見えますが、ただなんとなく画面に腺を描くだけで、作業効率としても設計の方向としてもあやふやになったりする場合があるように思えました。気づいたことをうまくアドバイスしないと、こうしたソフトを利用するだけの見返りが得られません。

第二夜 プロセスとローカリティの関係について

 第二夜のときは、僕もハッシュタグに参加してみました。約10年前に、僕が学校で建築の設計課題をやっていた頃から、ローカリティについての話題は多かったように思います。建築をつくるにあたって、その土地がもつ固有の価値を尊重する。漠然とそれがよいことのようには思えますが、学生の頃はそれをどう表現してよいか実感できなかったです。僕は、自分なりのアイデアで面白い形のものを作りたいという気持ちが強かったのですが、共同で課題をやっていた仲間からそれでは地域に合わないと否定されて悔しい思いをすることがありました。
 その後、社会人としては建材メーカーの商品開発を担当していましたので、あまり地域性そのものことは考える機会がなかったのですが、それでも製造や営業の担当の方とも、同じ開発の仲間ともいろいろな意見の衝突がありました。ひとつひとつ話し合いと工夫で解決をしていきました。
 話し合いを進めるにあたって、当たり前かもしれませんが、お互いが何を考えているのか理解することがまず大事です。しかしながら、単純作業の忙しさに紛れて話し合いの時間がうまくとれず、お互いの考えていることがが見えづらくなる場合もありました。職場でコミュニュケーションしようと言っていても、やるべきことがいつもあって忙しいのです。
 そこで改めて思ったのは、こうしてブログやtwitterに自分の考えを記録していくことについてです。直接仕事をする者同士でなくても、自分が何を考えているか記録することによって。例えば、建築家の立場にある人がものをどう考えているのか知ることができる。同様に、製造業の技術者、営業の担当者、総務の担当者、経済の専門家、などなど様々な立場の人の考えにも、気軽に触れることができるようになっています。それをうまく生かしていくことで、よりよいものが生み出せる可能性が開けてくる。 漠然とした考えですが、そう思いました。
 それが、個人が情報を発信して、目立つ力を発揮しながら生きていくことの意義と思えます。