失敗からの復活

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)

 勝間和代さんの『断る力』*1上田紀行さんの『かけがえのない人間』*2は、本人のつらい体験なども盛り込まれていましたが、直接うつ病を扱ったものではありません。しかし、この『回復力』は著者本人のや、教員として接した学生のうつ病に対する見方も盛り込まれています。
 「偽装体質企業 - FDmountwill_millsの日記」で紹介した、畑村洋太郎さんの本です。『失敗学のすすめ』においては、企業としての対応や設計の技術という観点として失敗について述べていたように思いますが、今回のものは個人の心のあり方についてのことが主な観点になっています。僕にとってうつというのは、医療の専門知識としての観点から語ることはできませんが、こういう理工系の技術者としての視点はより共感できるものがあります。
 苦境に潰されないためには、断る力を発揮したり、かけがえのない人間を訴えたりすることも正論としてたしかによいのですが、この本の第2章では「「人は弱い」ということをまず認める」ということからはじまって、「逃げる」「他人のせいにする」というフレーズも登場します。元気に正論を発揮できる人はそれでよいのですが、本当につらい状況にある人にはこのような少々かっこ悪い行動も必要なのだと認識しました。
 以下、僕の体験として感じたことを記入します。病気の専門知識に基づくものではありませんので、治療が必要な方は専門機関にかかることをおすすめします。しかしながら、業務のスケジュール管理や失敗などについて、悩む方にとって参考になれば幸いです。

僕が人を責めた体験

 僕がうつに至るまでの経緯も、業務上の失敗についての出来事が発端でした。業務の能力で他の人を圧倒していると言われていた僕が、他人の失敗を責めすぎて、元気をなくさせてしまった体験が発端です。そこから気分が落ち込んで、自分の仕事も失敗が続くようになり、そこから急加速するように病気にまでなりました。いわゆる商品開発の業務というのは、段取りや他部署との連携におけるコミュニュケーション能力、設計における工学的知識など、様々な要因によって成果に差が出る分野です。自慢するわけではないですが、僕は相当な能力を発揮していたと思います。いい気になっていてそこが落とし穴でした。いままででいちばん落ち込んだ体験です。

僕の弱点と人間の限界

 自分が完全無欠だったというほどのことでもなく、弱点もありました。僕は、数百箇所に一箇所程度の見落としによるミスが発生するタイプでした。様々な部品や図面やデータを扱っている案件であれば。ほぼ毎回不完全なものしか完成できないということなので、製品にとっては致命的というのも事実です。毎回そこを責められる体験はつらかったと記憶しています。
 しかしながら、ひとりの人間の作業能力としてそれは標準的であり、限界であることも徐々にわかりました。責めていた人の仕事を見ても、僕以上にミスが発生しているのが常でした。ミスが本当にないタイプの人も世の中にはいますが、ミスのないタイプの人だけで仕事をするというのは現実的に無理です。ミスがないという強みをもつ人が、スピードが速かったり業務のアイデアを創出できたり、様々な強みまで兼ね備えているかというと、そうでもありません。全部兼ね備えた人材を求めるのはあまりにもハードルが高い。

間違いをなくすというミッション

 そんな僕が、間違いを完全になくすというミッションをうけて新たに業務に取り組んだことがあります。最初に正攻法で取り組みましたが、やはり無理でした。そこで目指したことは、まずPC操作のスピードを圧倒的に上げること。CADソフトにしてもエクセルの表にしても、製品データ入力にしても、都度プログラムを作成して自動化するなどの工夫ができれば圧倒的に効率が上がることがわかりました。プログラムを扱うことは10代の頃からやっていましたので、割と得意な分野です。また、関係する人との打ち合わせを密にして、うやむやな点や意味のない自己満足的な作業をなくすことにも取り組んで、チームワークの向上に重点を置きました。
 スピードを上げて何ができるかというと、複数の人の手を経て時間をかけてチェックしたり対処したりすることができます。それがチームワークです。操作の工夫だけで間違いが無くなるわけではありませんでしたが、対処の時間は確保できました。人にはそれぞれ見落としやすいパターンがあります。それが人それぞれ異なるため、違う人が見ると僕の見落としは簡単に発見できる場合が多いです。間違いが見つかった時点で、納期に余裕があれば十分対処できます。そこまでやったとしも、業務の進行に支障がない時間を確保することを最優先にしました。この工夫は僕の長時間残業体質を回避することにも役立ちました。
 そして、チームワークの一環として、間違いに気づいたら速攻で関係する人に知らせることが大切だと感じました。正直に言うと、うやむやにしそうになったこともあります。間違いを責めることを喜んでやっているように見えるタイプの人もいて、その人に責められると自分の立場が悪くなる可能性があるためなかなか勇気が要ります。そのとき僕が行ったことはそこで元気な表情をキープするということでした。落ち込んだ表情を見せれば、相手の方も傷つくかもしれない。また、落ち込ませて喜ぶ性格の人間は、調子に乗って余計に偉そうにするかもしれません。このタイプの人間が調子に乗ると、人を責める風潮が定着して、職場の雰囲気が悪くなります。また、偽装を助長する可能性があります。前述のように、僕には傷つく側の体験も傷つける側の体験もあり、様々なそれに対しては冷静でいられませんでしたので、それに対してはガツンと言うこともありました。

正論にこだわりすぎた反省

 そこまでやって、業務のなかで最終的な間違いの低減や、業務の効率化について自分が関わる分について、ほぼ達成できました。失敗したことは、自分の立場が悪いままということ。ミスをしたことをわかるように連絡していたため、ミスが多いというイメージとして誤解した人もいるということです。また、ガツンと言うことを怖がる人もいました。だから、正論はひとまずおいといてミスを隠すというのもありだったかなと思います。
 以上のようなことは、知識労働者的な立場と自覚がなければ達成できなかったとは思います。今ではそのような状況にいたことを感謝したい気持ちがあります。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。業務を行う組織が、そんなイメージでいられたらいいと思ってます。