データを使え―希望ある未来への土台として 

政治的になるな、データを使え。―マリッサ・メイヤー*1 *2
Don't politec, use data. ―Marissa Mayer
ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)*3(P.117)

 先日紹介した『ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)』には、希望に満ちた言葉がたくさんありました。
 僕は、データを使うことに関しては、それなりの経験があります。大学の卒論も修論も、データ収集して分析したものですし、社会人での実務においてもいろいろありました。そのためか、僕が面白いと感じる本は、データがしっかり示されている場合が多いです。
 データを盛り込んだ本としては、『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)*4や『新しい人事戦略 ワークライフバランスー考え方と導入法ー*5、それと『COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2010年 03月号 [雑誌]*6などが印象的でした。しかしながら、そこでクローズアップされているものは、それぞれ人材育成やワークライフバランス、貧困大国についての考察そのものであるため、データを扱うテクニック自体については、少し割愛されていると思います。
 確固たる主張を導くためには、データを読み解く技術が必要です。その主張を自分の思考として取り入れるためには、クローズアップされた主張だけを、額面通りに受け取るだけでなく、できるだけ元データを分析して考える必要があると考えます。紹介した著者の酒井氏、小室氏、堤氏は、この技術に長けており、長年の経験に裏打ちされているのだと、改めて思いました。
 元データを読み解く技術が無いと、その時々で誰かの言ったことに、惑わされてしまうのだと思います。−上司が言っているから、社長が言っているから、大統領がそう言っているから、有名な作家のなんとかが言っているから−そんなことばかりを言い続けていたら、希望ある未来を切り開くことはできません。
 最近、自分自身の言動として<主張>そのものにクローズアップしすぎていて、ベーシックな技術を疎かにしているのではないか、ふと考えました。

データづくし本 やはり大好き

未来思考 10年先を読む「統計力」

未来思考 10年先を読む「統計力」

 そこで先日、データをまとめて分析している本を発見し、のめりこんで読んでしまいました。扱われたデータは、僕が研究論文にも関連ある少子高齢社会のデータをはじめ、貧困のデータ、都市人口のデータ、非正規雇用のデータと盛り沢山でした。僕が興味を持ち、日常にも関わってきたものばかりです。
 神永氏のこの本は、“議論のベースキャンプであることを目指して書かれています。(P.3-プロローグ)”とのこと。そのために「できるだけ確実な線」としての記述が多いです。より具体的で、成果を導くための主張に関しては、他の人に委ねようというコンセプトの本だと理解しました。それを行うのは、僕も含めた読者自身です。
 成果を求めて活動するには、データとして確実なことだけを実行するわけにもいきません。まだ誰も見たことのない、新しい形や技術を導くには、リスクをとって挑戦することも必要と思います。しかしながら、無用な時間や資源を投入することのないよう、データを冷静に見つめることも必要です。イノベーションするチャンスを追求するために、時間と資源を確保するという観点からも、冷静なデータ的判断が欠かせないと感じます。 
 また、レベルの違う話ですが、嘘や捏造のデータに満ちた成果物を、製品として世の中に出したとしたら、その組織は偽装体質として社会から非難を受けます。その意味でもデータは重要ですね。
 データというものは、それだけの重要性をもつものです。その重要性により、社内の政治的圧力も覆える場面は、何度か目撃しました。数字やデータが苦手で、政治が勝つ方に「賭けて」いた人が、結果としてあらゆる方面から人望を失うことも有り得ます。

「非定型分析」の業務を行う読者として

 「PART3-仕事と経済」にて5業務分類の考え方が述べられていました。研究・分析、企画・立案・設計などを行う仕事のカテゴリーとして、「非定型分析」があり、キーワードとして、数学、化学、論理と分析、という能力が求められるとのこと。その仕事が、1980年の就業者数を100として2005年には273と大幅に増加。それは僕の立場でもあります。
 あらかじめ定められた基準の正確な達成が求められる事務的作業として「定型認識」があり、それは1980年の100から2005年には119へと変化。就業者数が減っていないように見えますが、その内容はタイピストワードプロセッサ操作員といった職種が大幅に減少し、一般事務員が増加とのこと。
 現在では、「非定形」の業務を行う従業員でも、PCを用いて自分で書類を作成すること場面十分にありますので、その専門職は不要となっているのでしょう。
 「定型」が生き残るには、一般事務全般に広く精通しなければ存在価値がない、と考えることが妥当と感じます。身の回りにも「定型」タイプが居ますが、その存在価値については危ういと感じています。仲間の存在価値を守るために、現代の状況に適合するよう、シフトさせなければと感じました。そして、「非定形」の立場である僕自身は、統計などを含めた数学や科学に関する能力を、しっかりと維持していくことが必要と考えます。