理工系にもやさしい人文

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

 構造主義なんて難しそうだ、と最初は思いましたが、はしがきが優しげな文体で、いきなり和んでしまいました。

「はじめての」と断るからには、「構造主義」なんてきいたことない、一体それなあに?という人にも、わかってもらわないといけません。そこで、ちょっと進んだ高校生、いや、かなりおませな中学生の皆さんにも読んでいただけるように、書いてみました。

 なんて優しい先生でしょう。理系出身の専門バカな僕にも安心。橋爪大三郎先生は東京工業大学の先生なので、授業に接する学生はほとんど理工系です。だから、こういうふうに教えないと通用しないのかもしれません。以前に読んだ橋爪先生の本も読みやすかったですし*1、同様に東工大の先生で、全学人気No.1を獲得したという上田紀行先生の本も読みやすいです*2 *3。いい学校に思えますね。僕は受験時に偏差値が全然足りませんでしたがorz。
 理工系だろうと何だろうと、教養レベルとして人文系の知識が必要だと感じています。業務を続ける上での行き詰まり、ひいては生きていく上での悩みに人生で必ず出会うからです。最近の僕は、年末の今なら多少時間があるため、ビジネスや実務的専門書はしばし距離をおく予定として、思い切って中学生でも理解できるレベルからのおさらいからはじめて、新たな考えを確かなものにしたいと考えました。

構造主義レヴィ・ストロース

 本の内容は、レヴィ・ストロース構造主義に関する記述を中心に進行してゆきます。構造主義は、それまでの思想を覆すような内容が多く含まれています。ここでいうそれまでの思想とは、おおまかに言えば西洋的近代化の思想と理解しました。すなわち、ヨーロッパ社会の近代化された文明は絶対的にすばらしいものであるということをベースにした思想。近代化が進む時代において、ヨーロッパ社会は産業などの面で他の国々を圧倒する力を持っています。近代化が遅れていた日本のような国では、ヨーロッパ文明のレベルへ追いつくことに必死でした。近代化をして国力を増強しなければ日本は生き残れない、という考えが明治時代以降にありました。先日のドラマ、坂の上の雲*4などはその雰囲気が見事に描写されていたと思います。
 そんな西洋近代化思想は、徐々に行き詰っていきました。思うに、近代化だけで幸せになれない人も、世の中には存在したからです。戦争で犠牲になる人々、産業のなかで搾取される人々。思想面で近代化に対するアンチテーゼとして登場したのが、構造主義と感じました。
 構造主義の論理的アプローチは、綿密で隙が少なく説得力があります。それの元になっていたのは、人類学の調査やソシュール言語学、数学などです。幅広い分野の教養は、行き詰まりを打破する新しい方向を見つけ出すために、十分に役立つのだと理解しました。

昔から、思想のパラダイムシフトは何度も起こっている

 そもそも、近代化思想自体が、それまでの考え方を覆したものです。宗教や古代ギリシャ哲学など、何千年も人々の考えを支配してきた思想に対するアンチテーゼが近代思想です。それに至るまでには、多くの論争や新たな発見がありました。具体的には、ニュートンの物理学や、デューラーの透視図法などです。いわゆる科学のアプローチが、宗教や古代哲学の思想を覆したと考えます。本書では、「第三章-構造主義のルーツ」などで、その変遷について触れられています。
 近代化にしても何にしても、人々の考えが覆されるには、その思想が行き詰るだけでは不足です。現実に様々な行き詰まりが起こっている状況に直面していても、人はなかなか考え方を変えることができません。構造主義は、論理性や綿密な調査、幅広い学問分野からのフィードバック、といった強固な裏づけがありました。
 日本において、明治時代以降の近代化思想というのは、西欧列強の侵略を回避する必要に駆られて導入されたものです。それ自体は非難されるものではないですし、その実行に取り組んだ人々は「坂の上の雲」に描写されるように、むしろ英雄視されて然るべきです。
 歴史を振り返ると、明治以降のように新しい思想が江戸時代以前の思想を覆し、社会が大幅に変化したような事件は、明治以降には起こっていなかったと感じます。その明治の変化にしても西洋思想の輸入であって、自発的に何かを批判して得られたものではなかったのではないでしょうか。つまり、思想を変える行動の経験が少ないゆえに、思想の根本的な変化に対する抵抗が根強いのかもしれません。
 ここで、思想という広大な分野から少し離れます会社業務において新たに仕事が出来ないという現実に直面していても、それまで行っていたやり方、ひいては思想を捨てきれない場合がありますます。これは、考え方を変えられない人を非難したいというより、人々の考え方を変えるにはそれだけの裏づけが必要ということを言いたいのです。行き詰まりを超えるためには、構造主義や近代化思想のように、きちんとしたアプローチによって旧い思想を覆してゆくべきと感じます。思想においても身近な業務レベルにおいても、人の考えを変えることは、それだけ大それたことです。改革を起こすならば、裏づけのある確かな力をもってアプローチしていくべきと考えます。