プレファブメーカー ルイス・カーン??

 先日のエントリでルイス・カーンの仕事について触れましたが、僕はかなりの知ったかぶりをしていたのではないかと考え中。ルイス・I・カーンwikipediaを開いて読んだのですが、その生涯についての記述は意外なことだらけでした。

1935年、自らの建築設計事務所を開き、居住建築プロジェクトを立ち上げると、同年、建築家のアルフレッド・カストナーの誘いでニューヨークに行き、アメリカ合衆国再定住局の助任建築家としてローコストの公共住宅の設計に携わった。

その後、フィラデルフィアに戻るが仕事は少なく、ワシントンで知り合った建築家のヘンリー・クラムと共に、鉄骨造によるプレファブ住宅の研究に勤しんだ。1937年、公共事業による住宅建設の機運が強まると、アメリカ合衆国住宅局、フィラデルフィア住宅局が相次いで設立され、早くから公共住宅の問題に取り組んでいたカーンはその実績を認められて、フィラデルフィア住宅局顧問建築家になる。1939年にはアメリカ合衆国住宅局顧問建築家にも就任。
ルイス・I・カーン - Wikipediaより引用

 プレファブ??ローコスト公共住宅??。それは、あの孤高な芸術的イメージとは無縁な印象。

1957年〜1974年 フィラデルフィアペンシルベニア大学に移ると、ペンシルベニア大学リチャーズ医学研究棟で建築界の注目を集め、アーキテクトとしての事実上のデビューを果たすことになった。
ルイス・I・カーン - Wikipediaより引用

 ルイス・カーンの作品集は何度も見ていたし、そこは知っているつもりでしたが、冷静に考えると意外なことに気づきました。事実上のデビューが1957年からということは、1901年生まれのルイス・カーン56歳ですか??。そういうこと全然気づいていなかった。どうやら、ルイス・カーンの作品集の形ばかり見ていたようです。
 第2次世界大戦中〜後の社会というのは、軍人が社会復帰してベビーブームがやってくるという予想が濃厚であり、住宅などを迅速に整備する必要があったのだと思います。それに応えるのは当時の社会において大事な仕事。ただ、作品集や映画では地味に写るだろうし、そもそも扱いが小さいので見過ごしてしまい、僕のなかで自分勝手なイメージにつくり変えてしまっていたのかもしれません。