世界のいかがわしい出来事と対決する希望

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

第1章  ヴィトゲンシュタインのウィーン
第2章  数学の基礎
第3章  ケンブリッジの日々
第4章  論理哲学論考
第5章  放浪の果てに
第6章  言語ゲーム
第7章  ルール懐疑主義
第8章  1次ルールと2次ルール
第9章  悟りの言語ゲーム
第10章 本居宜長の言語ゲーム
第11章 これからの言語ゲーム

 まず、最初にヴィトゲンシュタインがどういう人生を送った人物なのかが述べられています。後半は、その思想を用いて我々がいま生きている世界をどのように理解して行動するべきか、ということだと理解しました。
 哲学者ウィトゲンシュタインの言っていることは難解であるように思えるし、生きてきた時代背景も違います。したがって、なぜそれを学ぶ必要があるのかという疑問が、最初に僕のなかにありました。ヴィトゲンシュタインの生い立ちを知ることは、そんな疑問をクリアーする最初にステップになります。ヴィトゲンシュタインは、自分が何に向いた人間であるか、という若者にありがちな悩みと向き合っていたこと。そして、第2次世界大戦の時代をヨーロッパで過ごしたユダヤ人であることです。
 ヒトラーが登場して、ヴィトゲンシュタインを含むユダヤ人はつらい立場に立たされました。そのような流れに対して、筋道の通った反論で戦うためのツールとして、言語ゲームを生み出したと理解しました。

ヴィトゲンシュタインはなぜ、言語ゲームについてずっと考え続けたのか。それは、われわれ人間は、意味と価値をそなえたこの世界に生まれたことを、どうやって信じるようになるのか、言い換えれば、人間が人間になるための条件はなにか、はっきりさせたかったからだ。
 彼自身を救うため。
 そして、この世界を救うため。

ウィトゲンシュタインは、それよりもっと根本的な「何を懐疑するにせよ、懐疑するという言語ゲームを行っていることは決して疑えない」、という原理を発見したのである。

 第7章以降では、キリスト教ユダヤ教、あるいは仏教や本居宜長の思想を、言語ゲームの考え方に沿って解釈すると、筋道の通ったわかりやすい説明ができることが示されます。言語ゲームは、東洋文化西洋文化の違いや、何千年という時の流れを超えて、普遍的に適用できるようです。
 人が生活するなかで、反発や不満など、自分の納得のいかない考え方に出会うことは、日々あると思います。そこで黙っていたら、第2次世界大戦時のユダヤ人のような迫害に発展するかもしれない。そこで、自分と世界に関する希望を守るために、納得がいくまで考え抜いて答えを出すことが大切だと理解しました。