知識労働社会

 これも内容盛りだくさんです。主な内容は20世紀の社会と、それに至るまでの歴史ということでしょうか。もちろんそれに対する考察が入ります。いわゆる歴史書としては読みにくいかもしれませんので、基本的な歴史の出来事についてはあらかじめ理解しておかないと理解が追いつかないと思います。まずは目次の引用。本当の目次は、これの下に章のパラグラフがつきます。

  • Part1 激動の転換期にある社会
  • Part2 断絶後の経済
  • Part3 模索する政治
  • Part4 問われる知識と教育

 ドラッカーがいうところの「断絶」「転換」のなかで最も重要なのが、「肉体労働者」→「知識労働者」ということだと思います。「プロフェッショナルの条件」*1の前半にも出てきたことですが、ここでは歴史を俯瞰した立場から、多くの事例を交えてこのことが述べられます。
 かつて、企業は言うことだけ聞いて従わせるようなやり方で、従業員や下請けに仕事をさせていました。知識を扱う人は限られていて、仕事の内容について考えなくてよい人がたくさんいたのです。その時代では、そのやり方で企業が利益を得て従業員に給料を支払うことができるからです。それが変化して知識、教育が重要だという社会へ転換し、言われたとおりに肉体を活用して労働していた社会とは断絶するということです。Part4ではそれを受けて、重要性を増した知識に関わる教育の問題を取り上げます。
 一部の企業においては断絶する前の社会のやり方を押し通そうとして、結果的に反社会的な行動をとっているのだと思います。業務の進め方をカイゼンすることもなく、偽装行為などの異常に気づいた黙ってしまうということも起こり得ます。従業員の方から余計なことは言わないと心に誓っている状況も散見されます。従業員は、結果的に肉体労働的な機械操作や指示通り作図する程度のスキルしか得られない。業務が滞ると、安い賃金で技能の低い非正規雇用社員を大量に雇って酷使し、利益が出にくくなっている問題をその場しのぎで解決しようとしました。また、若い世代の正規雇用従業員も同様に知的労働の機会を与えられずに酷使されています。本来ならば、業務のやり方を断絶後の社会に合う形にイノベートするという、抜本的な解決が必要でした。彼らは断絶前の社会のやり方を強制的に押し付けられているのです。
 個人的な体験では、大学院教育の機会や知識労働の機会を得て活躍できたことを幸運と感じています。その立場から言うのも何ですが、知識労働の機会が完全に失われている職場というのも、世の中にはないように思います。目の前の問題を知的に解決する方法を、どんな形ででも実行していけば、それが財産になり得ると思います。本を読んだりすることも、十分役立つことのひとつだったと感じています。