領域横断は目的ではない―『社会学入門』

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

 様々な専門分野に関しての知識がある人について、人は憧れを抱くものです。著名な社会学者についても、その意味において憧れを抱く人は多いのでしょう。僕もそのような感情を抱きがちでした。しかし、領域横断的な知は結果であって目的でないと述べられていました。

レヴィ=ストロースフーコーといった、現代の社会学の若い研究者や学生たちが魅力を感じて呼んでいる主要な著者たちは、すべて複数の―経済学、法学、政治学、哲学、文学、心理学、人類学、歴史学、等々の―領域を横断する知性たちです。
 けれども重要なことは、「領域横断的」であるということではないのです。「越境する知」ということは結果であって、目的とすることではありません。何の結果であるかというと、自分にとってほんとうに大切な問題に、どこまでも誠実である、という態度の結果なのです。(P.8)

 単にたくさんのことを知識として知っている人は、たしかに冷静に考えるとつまらないものです。現代では、個々の事象のことであればインターネットで検索が出来て、ひととおりのことはわかるという事情があります。知識として単に知っている、という状態は現代社会において価値を低下させました。この本は、著名な学者の名前や概要をまとめるなどして、社会学という立派な学問体系を示すような形にはなっていません。その意味ではいわゆる「〜学入門」というタイトルからイメージできる内容とは異なります。扱われるのは、個々の問題です。個々の問題に対して誠実な態度を示すことを通して「社会学入門」の役割を果たす、ということがこの本の特徴でした。
 「1.鏡の中の現代社会(P.24)」にて、インドや南米を旅した体験談が語られます。これらの国は日本と比べて「近代化」が進んでいない面があります。キツイ・キタナイ・キケン、という言葉で言い表せる体験も多いそうです。かつては、日本もアメリカもヨーロッパ諸国も、「前近代」でした。

 社会の「近代化」ということの中で、人間は、実に多くのものを獲得し、また、実に多くのものを失いました。獲得したものは、計算できるもの、目に見えるもの、言葉によって明確に表現できるものが多い。しかし喪失したものは、計算できないもの、目に見えないもの、言葉によって表現することのできないものが多い。(P.38-39)

 ぼくたちは今「前近代」に戻るのではなく、「近代」にとどまるのでもなく、近代の後の、新しい社会の形を構想し、実現してゆくほかはないところに立っている。積極的な言い方をすれば、人間がこれまでに形成してきたさまざまな社会の形、「生き方」の形を自在に見はるかしながら、ほんとうによい社会の形、「生き方」の形というものを構想し、実現できるところに立っている。
 このときに大切なことは、異世界を理想化することではなく、〈両方を見る〉ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の〈自明性の檻〉の外部に出てみるということです。(P.40)

 以降、新聞などのメディアの記録や、文献参照、統計データなどから「前近代」と「近代」「現代」への変遷を、読みといてゆきます。
 都市化され個人がアトム化して存在感を希薄にした現代社会にある種の問題意識を持つとして、再び共同体を導入したいと考えて実行する人がいたとします。前近代へのその素朴な憧れは〈両方を見る〉ということによって、ひとつの幻滅に至るのです。この本では、新聞に寄せられた短歌の研究が紹介されていました。

一人の異端もあらず月明の田に水湛え一村眠る 田附昭二
犇めきて海に墜ちゆくペンギンの仲良しということの無残さ 太田美和 (P.98)

 前近代的な日本の共同体には、助け合いというメリットがあったのかもしれません。しかし、その共同体には異端を許さない不自由さがあったのかもしれません。また、大東亜戦争のように、仲良しな「空気」からの「同調圧力」によって、誤った方向に社会全体が大きく動く可能性があります。その前近代性は、現代においても「継起的」に受け継がれているといいます。

 ひとつのものが死滅して、それに代わって新しいものが出現するという仕方ではない。ひとつのものは生きつづけ、その上に立って、新しいステージが展開し、積み重ねられる。
 どのように「現代的」な情報化人間もまた同時に「近代人」である。個我の意識や合理的な思考能力をもって世界と対峙する力、時間のパースペクティブの中で未来を見とおす力を身にそなえている。(P.161)
 人間をその切り離された先端部分において見ることをやめること、現代の人間の中にこの五つの層*1が、さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって、〈共時的〉に生きつづけているということを把握しておくことが、具体的な現代人間のさまざまな事実を分析し、理解するということの上でも、また、望ましい未来の方向を構想するということの上でも、決定的である。(P.162)

 ですから、たとえば共同体を復活させようという働きかけは、前近代から生きつづけた「同調圧力による不自由性」を再び活性化させる可能性があるという認識をもち、その弊害を回避することが必要となります。だから、現代の都市問題に対峙して実行しようとと思ったときには、必然的に歴史などの知識が必要となり、結果として領域横断的な知が形成されるのでしょう。

*1: 0.生命性|1.人間性|2.文明性|3.近代性|4.現代性(P.161)